2009年1月31日土曜日

ネット規制

最近、お隣の韓国ではネット規制の議論が盛んのようですね。
日本でもネットでの誹謗中傷やいじめが問題になっていますが、韓国では更に深刻そうですね。

私はネット規制に関して言えば、賛成です。
私が思っているネット規制は日本で議論されているフィルタリングについてではなく、匿名性の廃止です。

フィルタリングについては、必要と思われる方が自発的に各ベンダーのフィルタリングサービスを適用したり、携帯のWEB機能に制限をかければよいと思います。
匿名性については、できるなら規制していただきたいですね。

そう言うと決まって、「表現の自由が侵害される。」とか、「インターネットの可能性が損なわれる。」という意見を聞きますが、そんなに問題はないかなと思っています。


匿名性の廃止というのは、個人の表現を規制するものではなく、個人が責任をもって表現する制度にするためのものです。
実社会で何かしらの表現を行おうとすると、必ず「名前」や「顔」というアイデンティティが必要となります。
自分の「名前」、「顔」の両方を誰にも明かさず、社会に向け何かを表現するのは、現実的には不可能だと思います。
それならネットでも、それなりのアイデンティティが必要ではないのでしょうか。(その線引きをどこにするかは、また重要な問題ですが。)
そもそも、ネットでは何故匿名性が前提になっているのでしょうか。
実社会に即していないネット社会なんてオープンでも何でもなくて、むしろ閉鎖的だと私は思います。

匿名性がなくても、ネット社会でも実社会と同じく、自分の行動と言動の影響を考えて、責任を取れるよう発言すればいいだけではないでしょうか。


それとインターネットの可能性です。

これは個人的な思い込みなのかもしれませんが、よい記事を書いている人は大抵、実名を記入して、しっかり自分自身の発言に責任を持っていると思います。
確かに匿名性を廃止することで、今までほどカジュアルに発言しにくくなる面も出てくると思います。
それでもネットそのものが危険だとか、胡散臭いというイメージを持ったままの状態のほうが余程インターネットの可能性が損なわれると、私は思います。
イチゼロの問題ではないので、可能性を残すために多少の規制は必要だと感じます。


まぁ、私が言っていることに賛同してくれる方はあまりいないとは思います。
それに、技術的なハードルが果てしなく高そうですよね。
(そもそも、できるのか・・・。)

でも、せっかくこんなにも素晴らしいシステムがあるのだから、皆が気持ちよく有効的に使えればいいなと思います。

2009年1月28日水曜日

旅人 ある物理学者の回想

日本人初のノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹氏の自叙伝「旅人 ある物理学者の回想」を読みました。

少し読んでみて、まずは目を引くのが彼の文才です。
情緒的と言うか寂寥感が滲み出ながらも、その裏側にある確固たる自信が感じられる文章です。
研究者の方が書く文章というよりは、日本文学に近いような気がします。
読んでいて、非常に気持ちがいいです。

それもそのはずで、小学校に入る以前から漢文の素読をやらされており、小学生の頃は孟子・老子を中心に文学の世界に引きこもっていたそうです。

私がこの自叙伝から印象的だった箇所を引用させていただきます。

それにしても、私はやはり数学者にならなくてよかったと思う。私はどこまで行っても、思考の飛躍に最大の喜びを発見する人間であった。水ももらさぬ論理で、たたみこんでいく手順は、私の関心の中核ではなかった。それにまた、理論物理学者として、理想と現実の間の矛盾に悩むのが、私の性にあっているようにも思われる。

この文章は物理学と数学の分岐点にたたされた時を振り返って語っています。
私からすると、理論物理学というのも数学と同じく、完璧な論理によって証明するものだと考えていましたので、意外でした。
それと、まさか研究者の方から思考の飛躍という言葉がでてくるのことも。
独創性や人間性を重んじる、湯川氏らしい考えですね。


何か、自分の仕事を一つ仕上げた上でなければ、外国へ出かけたくなかった。研究のテーマは、自分でさがし出す。そして自分の力で、やれるとこまでやって見たい。何度失敗してもよい。もし成功したら、その上で外国の学者とも話し合おう。
(・・・中略・・・)
私は自分の研究に、知・情・意の三つをふくむ全智全霊を打ちこみたかった。

この文章は湯川氏が今の私と同じぐらいの年齢の自分を振り返り語っています。
自分の専門に関してさらりと、「やれるとこまでやって見たい。全智全霊を打ち込みたい。」と語っていることに、心底尊敬します。
誰もが考えることではあるでしょうが、言葉にできるほど強い意志はなかなか持てません・・・。
私とはほど遠い存在ですが、この言葉だけでも心の中に留めておきます。




最後に、湯川氏のインタビューを貼り付けておきますので興味のある方は観て下さい。



「独創できなものは初めは少数派。多数派のものは独創的でもなんでもない。」
「自分の力で新しい心理を発見しよう。それが自分の人生。」

素晴らしいことを語っておられます。感銘を受けました。

2009年1月27日火曜日

弾き語り十二月 in 武道館~青春ブルース完結編~

やっぱりロックが好きだ。
それも、飾り気のないものが。
そう、例えば、斉藤和義のように。

ライブアルバム『弾き語り十二月 in 武道館~青春ブルース完結編~』はすごい。
うたうたいとしての、ギタリストとしての、ソングライターとしての実力を嫌でも思い知らされる。
何なんだ、この人は。

朴訥としていて、如何にも適当な感じを醸しだしているくせに。
それでも、圧倒的な実力で聴衆を引き付ける彼は、人間としてものすごく格好良く見えて堪らない。

2009年1月25日日曜日

パリ旅行[5日目]

パリ旅行、最終日の5日目です。
5日目は前日行けなった、オルセー美術館に直行です。



オルセーには、モネ、ゴッホ、ルノワール、セザンヌといった日本で著名な印象派の画家の絵画がたくさん展示されています。
そのせいか、やたら日本人率が高かったです。
印象派の絵画がひしめく5階では、半数以上が日本人だったのではないでしょうか・・・。
私も5階へ直行したのですが、やはり個人的な好みとはすこし違ったようです。

3階のロダン・テラスというコーナーには、ロダンの『地獄の門』がありました。
門には幾人もの人間がへばり付いており、彼等がまとわりついてきそうなほど、鬼気迫る彫刻でした。
ただ、よく観ると気分が悪くなりそうなので、少し距離をおいて鑑賞しました。



1階にはコロー、ミレーなど印象派以前の絵画が数多く展示されております。
個人的に好きだったのがミレーの『春』。
ミレーの作品は農夫などの女性が描かれているのが多く、あまり好きではなかったのですが、これには引き付けられました。
「人生は険しい道だし、一筋縄ではいかない。
色々あるかもしれないが、必死で生きていけば希望もある。」
と語りかけているようで好きですね。
(実際には親友への追悼の意味で描いたそうで、何を表現しているのかは知りません・・・。)



それから、妻に観てきてほしいと言われていたモローの『オルフェウス』。
あまりの美しさと恐ろしさに背筋が寒くなります。
美しさに感動して鳥肌が立つのか、恐ろしさのあまりに鳥肌が立つのかは分かりません。
「恐ろしいのに、あまりに美しくて、離れられない。ずっと観ていたい。」という気分になります。
きっと、こんな感覚を味わえる絵画は稀有でしょう。



こんな感じで、オルセー美術館では印象派の絵画はちょっと分かりませんでしたが、楽しむことができました。

この後は空港へ行き、11時間の空の旅を経て、日本へ帰ってきました。
たくさんの芸術や建築物を堪能することができ、パリも素晴らしい。
しかし、日本はもっと素晴らしいと思える旅行でした。

2009年1月23日金曜日

パリ旅行[4日目]

パリ旅行、4日目です。
4日目はオルセー美術館が残念ながら休館日でしたので、パリの建築物巡りとしました。

まずはシテ島のサント・シャペルです。
ステンドグラスで覆われた礼拝堂は本当に上品できらびやかです。
きっと、誰もが息を呑む絶対的な美しさでしょうね。
ちなみに、ステンドグラスにはそれぞれ違った絵柄が描かれており面白かったです。



次は同じくシテ島のノートルダム大聖堂。
ここまもまた美しかった。
サント・シャペルとは違って、圧倒的なスケールと美しさに、カトリックの威厳のようなものを感じさせられました。
只、LG製の液晶ディスプレイが所々に設置されていたのが気になりましたが・・・。



最後に訪れたのはモンマルトルの丘の上にあるサクレ・クール寺院。
もう溜息がでてしまいます。
この建物も本当に美しく立派だったのですが、ノートルダム大聖堂に比べ厳格で上品な印象を受けました。
あまりの美しさと上品さに、崇高な気分にさえしてくれます。



また、モンマルトルの丘からはパリ市街地を一望でき、爽快でした。
写真はモンマルトルの丘から少し降りた場所からのエッフェル塔です。


ちなみに、モンマルトルの丘では柄が悪そうな黒人の人に引っ張られそうになりました。
普段のトレーニングのおかげで、いざとなったら走って逃げ切れる自信があったのでよかったですが、皆さん気をつけましょう。
(近くにムーラン・ルージュという歓楽街があるので、治安が悪いそうです。面白そうな場所でしたがね。)

この日は昼、夜とも日本食をいただきました。
海外でひどく弱い私に、お昼の鮭弁当は涙が出るほど美味しかったです。

2009年1月18日日曜日

パリ旅行[3日目]

パリ旅行3日目です。
3日目は体調が優れなかったのですが、ルーヴル美術館に直行しました。

まずは、2日目に見損ねた絵画と気に入った絵画を再度鑑賞しました。
相変わらず素晴らしすぎる絵画ばかりで、一層体調を悪化させてくれます。

それでも、ヴァトーの『ジル(ピエロ)』などはしっかり鑑賞しました。
妻の説明を前日にしっかり受け、改めて不思議な吸引力と強烈な違和感を感じました。
「いい絵なのかどうかは何とも言えないが、何か後を引く作品だな」と言うのが正直な感想です。



次に、目的の彫刻の鑑賞に移ります。
ミケランジェロの『瀕死の奴隷』や『サモトラケのニケ』といった有名な作品がひしめくほどあったのですが、2つだけ紹介します。

アントニア・カノーヴァという人の『アムールとプシュケ(エロスの接吻で目覚めるプシュケ)』。
構図の美しさと妖艶さに見惚れてしまいます。
逞しく力強い彫刻が多い中、惚れ惚れするほど美しく、艶やかで柔らかな作品でした。



そして、お目当ての『ミロのヴィーナス』。
小学生の頃に教わる作品なので、やはりテンションはあがりますね。
それほどの感動はなかったのですが、逞しさと美しさ(気品高さ)を兼ねそろえた作品だと感じました。



この後、カフェでご飯を食べてオペラ座まで歩いたのですが、チケットの買い方が分かりません。
フランス語で質問する術を知らない私は、諦めてメトロでエッフェル塔へと向かいます。
しかし、たどり着いたのが何故か凱旋門。



しょうがなくチケットを買って、凱旋門の上まで昇りました。
パリの街並みは凱旋門を中心に放射線状に広がっているので、思いのほか壮観な眺めでした。



この後、ビストロ風なお店で鴨サラダとサーモンとチーズフォンデを食べてホテルへ帰ります。
美味しかった気がしますが、体調が優れず、思うように食べれませんでした。

3日目は様々な芸術に触れながら、パリの気候と食事に苦しむ1日でした。

2009年1月17日土曜日

パリ旅行[2日目]

パリ旅行2日目です。
2日目は何と言ってもルーヴル美術館です。


私が気に入ったのは「フランス絵画の大作」というコーナーです。
17,18世紀頃にフランスで活躍した画家の作品が中心だったのですが、ここは本当に素晴らしくて、空間に踏み入れた瞬間に鳥肌が立ちました。
幾つか気に入った作品を紹介します。

ジェリコーの『メデュース号の筏』。
鬼気迫る程のリアルティがこちらまで伝わってきます。
只々、圧倒されました。



ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』。
この作品が私の目玉でした。
やっぱり好きですね。間違えなく格好良くて、すっきりした気分にさせてくれます。



ダヴィットの『レカミエ夫人』。
官能的な作品ではないのですが、モデルの女性と作品自体の気品さに目が奪われてしまいました。
ダヴィットは他にも『ナポレオンの戴冠式』等の名画がたくさんあり、どの作品も圧倒的に美しかったです。


他にもアングルやグロと言った画家の絵画は、個人的には本当よかったです。
あと、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』もありました。

初日は3時間ほど鑑賞したのですが、展示されていた絵画があまりに素晴らしく、見終えた後はへとへとでした。
すべての作品をしっかり鑑賞したいというのなら1週間は必要ですね。


ルーヴルの後は、パリ市街地を観光し、エスカルゴ(カタツムリ)とムール貝を食してホテルへ戻りました。
この時期のパリは寒いけれども、どの建築物もお城のようなきれいな建物で素敵です。
日本ではまず見ることの出来ない景観で、ヨーロッパの歴史を感じさせられました。


ということで、2日目は素晴らしく充実した1日でした。

2009年1月15日木曜日

パリ旅行[1日目]

久しぶりの日記になってしまいました。
新婚旅行でパリへ行ってきましたので、何回かに分けて報告をしたいと思います。

まずは1日目です。
1日目は成田からロシア北上を通ってパリへ向かう12時間の空の旅です。
所々見えたロシアの大地は壮大で、まさに絶景でした。
私は半分ぐらいは寝ていたのですが、妻は寝る間も惜しんで、ずっと眺めていたようです。


空港についた後は、送迎用バスに乗りホテルへ。
ホテルは何故かパリにある中華街の外れでした。

ということで、夕食は近くのフォーのお店で牛肉入りのフォーと怪しい汁。
怪しい汁はさておき、フォーはコシがあり、日本以上にパクチーが効いておりおいしかったです。

初日は移動が大半でしたので、あまり報告することはありません。
次回からはパリ観光について報告します。