2008年7月5日土曜日

決壊.1

また平野啓一郎さんのエントリーになってしまうのですが、先日『決壊』の刊行記念のトークイベントを丸善本店へ聞きに行きました。
色々なお話を聞くことができ、大変有意義な時間を過ごさせていただいたので、何点か印象的だったことを書かせてもらいます。

この小説のテーマは、信仰のないこの時代に、決して赦しえない犯罪に直面した際に、人間は何をもって『赦し』とするのかということです。

今のあらゆる問題が複雑に絡み合った時代に、世間で所謂「勝ち組」と言われている人間たちにも、自分自身の成果を正当に評価してくれる受け皿が社会にはなく、『心の闇』と言われているものを抱え込んでしまう。
そして、その不安定の均衡を保ちながら誰もが生きていて、それが『決壊』する時に決して赦しえない犯罪が起きる。
それは加害者側も、被害者側の人生をも滅茶苦茶にすることになる。
そのギリギリの状態で人間は何を『赦し』とするのか。
物語特有の収まりのいい結末したくなくて、小説の結末を用意せず連載に取り組み、著者も物語と併走しながら書いたと話されていて驚きました。

このテーマは以前から考えていたようようですが、今回小説を執筆するにあたって信仰がない時代の犯罪を描いたドストエフスキーを読み返したことに影響されたということです。

また、今回のトークイベントでドストエフスキーの面白さについても話されていました。
人間の心理って「文法」に規程されていて、例えば「今晩の夕飯は・・・・」と言うと、格助詞の後のなにがくるか期待してしまうということを話されていて。
その動詞の種類には「・・・をした」という次の場面を移り変わる動詞と、「・・・と考えた」という自分自身に返ってくる動詞があるというのです。
前者をよく用いているのが所謂テンポがよい面白い小説とされています。
しかし、ドストエフスキーは後者にも関わらず面白い。
それは何故か。
それは主人公の複雑な人間性に対する理解が徐々に深まり、主人公と自分自身が併走しているかのように感じられるからだということを話されていました。
やっぱり、小説家の目線って面白いですね。
今度、「罪と罰」を読み返してみます。

まだまだ色々なお話があったのですが、このあたりで切り上げておきます。
最初この小説の粗筋を知ったときに、平野啓一郎さんがミステリーを書くということに違和感を感じたのですが、今回のお話を聞いて納得しました。
決壊、楽しみです。

※サインしてもらいました。

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